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頑張って決めた

こんばんは、メルです。一人っ子です。

あけましておめでとうございます。
2015年の途中からずっと離れっぱなしでしたが、ここに来ての近況と振り返りを記します。
本当に自分用みたいな文章です。

詳しくは書いていないのですが、わたくし生まれと育ちは長野、大学は東京、今は九州で英語の先生をやっています。
何故九州に来てしまったかというと、音楽の仲間とか色々な関係で勢いで大学卒業後、仕事も決まらないまま飛び出してきたわけですが、ここに来て30が近くなると、この先どこで暮らし、どこで骨を埋めるか、といった部分を考えるようになるのです。

さて、自分が初めてインターネット上での音楽活動(という名目のただのコピー演奏の動画投稿)を始めたのは大学4年生の時です。
当時借りていたアパートのネットが遅いかPCのスペックが何か原因は忘れましたがうまくアップロードできず、USBメモリにファイルを入れて大学の図書館にあるPCからアプロードして、授業が終わってどんなコメントが付いているかドキドキしながら帰宅したような思い出があります。

そしてインターネット上での色々な出会いもあり、音楽を一緒に作らないかとお誘いをいただくことも増える、ありがたい状況になりました。九州へ移ったのもその1つでした。しかしその活動も自分が原因で上手くいかなかった。
そんなで自分に残ったのは、仕事。
履歴書にすぐやめたとあれば自分の経歴が安く付くと思い、石の上にも3年の信念で仕事を頑張る。前後して正社員となった自分に待っていたのは非常に辛い毎日。毎日怒られ、泣きたい日々でした。ただ何も考える余裕が無いまま年月は過ぎました。

その2年後、異動が命じられます。新しい地は、より穏やかな地域で、気づいたら毎日怒られながらがむしゃらに頑張っていた自分はそこで鍛えられていた自分の技術が役に立つという実感を抱きました。
そこではそこそこきついながらも活躍できる楽しさや、役に立てる喜びが感じられました。(おまけにストレスが減って太った)
そして今に繋がるのですが、そんな仕事が楽しくなってきた時であるのに、考える余裕が出来たからなのか、このまま音楽仲間もいない、友達も離れ離れの地で一生を過ごすイメージをした時に寂しいものを感じます。

我ながら情けない、かつてアメリカで本気で恋をした時は一生アメリカにいたいと思い、九州に来るときは何も長い目で将来を考えずに動いていました。友人にも故郷から遠い地で腰を落ち着けている人もいる。
しかし、今の自分は、一人っ子として親が年老いた時にそばにいたいという気持ちが、気の知れない音楽仲間と余暇を楽しめる生活を望む気持ちが強くなっていました。
今の生活だと休みが少なく、親の死に目にも会えずに、恩返しも出来ずに終わるのではとイメージしてしまうのです。

そこで自分は昨年の12月、意を決して退職の意を伝えます。
色々とありがたい事に、会社は自分を必要とはしてくれます。しかし自分の意向も聞いてくれました。
真面目だけがとりえなので、自分には人を引きつけるカリスマのようなものは無いけれど、頑張って教わったことを吸収し、社員格付けの上位にも2年連続で上がりました。基本的にイエスマンに近いので組織人としては使いやすい存在だったと思います。

そして今。
九州で恩を頂いた様々な方にそれを伝えていっています。

自分は帰属意識が強い様で、会社も大好きと来て、伝えるときに物凄くどきどきしながら言います。

また大きな存在として、祖父母が九州に暮らしています。
九州に引っ越してからというもの、年末年始はその祖父母の家で年を越します。内孫が一人だけだったりというのもあり、祖父母の凄く大きな愛情を感じてきました。勿論両親からもとても深い愛を受けて育った確信があります。だから自分が父親になったらきっと愛情深い親になるなじゃないかと思います。それはさておき、祖父母は自分が九州に来るとなった時に凄く喜んでくれました。結果的に仕事が忙しく年に2回ほどしか会えない状態でしたが、曰く近くにいるだけで安心するようです。毎回良くしてくれる祖父母は両親と同様に大好きなのです。家族愛がめっちゃ強いのです。
そんな祖父母に今年の年越しを一緒に過ごした後、東京へ行く事を告げました。告げる前は物凄く勇気が入りました。何故ならそれを伝えたら祖父母は絶対に悲しむと分かるから。高齢で唯一の孫が近くにいて、いつも元気に会ってくれる祖父母にそれを伝えるのは罪深いと思いながら、でも自分には上に書いたような将来像を持っているから伝えないといけない。

伝えた時、祖父母は笑顔で承認の言葉をくれました。ただ、寂しくなるね、とこぼしました。
帰るとき、バス停まで見送りに来てくれた祖母が、餞別だと、そっとお金を手渡しました。年金暮らしの方からしたらとてお大きな額です。祖母は実直に蓄え、古き好き日本人女性の見本の如く家の男を支えている、尊敬できる人です。そんな祖母から受け取ったお金を握った時、このような綺麗なお金をどう使えようかと内心思いつつ涙が止まりませんでした。また来るよ。といっても向こうはきっと今生の別れのように感じているに違いない。こんな大好きなかけがえのない身内を寂しい気持ちにさせるなんて、自分がこのタイミングで取った行動は正解なのかもわからなくなる。何やら良くわからない感情でぐちゃぐちゃです。
駅から電車に乗った後も涙が止まらない。いい年してなんだこれは。ネックウォーマーで隠せなかったら不審者だった。
結局言い出す決心をするまでぐずぐずしていたので帰りが遅くなり、乗り換えた後の終電を逃したのでタクシーで5000円程掛けて帰宅し、ちょっと心を落ち着けているのが今。

思えば自分の20代は、年始めに目標は立てても(大体アルバム作るぞとかいうもの)、それきり仕事にエネルギーを取られうまくいかないまま時間がすぎる状態でした。ギターを買う金はあっても弾く時間が減り、自分のかつて目指していたギター弾き像からどんどん離れていく。大体はココらへんの年齢までで結婚して週末ギター弾きになるんでしょう。ただ自分の場合は死に場所に迷っていたのもあって、最後の彼女と別れた後は恋人も作らず(いやモテないので作れず)にいた。
東京に戻ったら、学生の時のような気楽さはないけど、もっともっと人生を楽しんで、健康に暮らせるような仕事探しに向かって頑張って動いて、心配してくれる人たちを安心させたい。勿論変な仕事に付いてしまったら親孝行も儘ならないだろうから慎重に頑張る。などと、まだまだ子供のような大人が思った、とそういう話でした。

祖母の寂しい顔を見た時、そもそも九州へ来ることを決断した7年前の自分を一瞬呪った。でも九州で色んな経験をさせてもらったことへ、そんな後ろ向きの気持ちを持っては申し訳ない。
これまで色々な場所に住んできたが、嬉しい事にどこに行っても、いろいろな人に与えられてきた。
故郷が増えて困ってしまう。人との貴重な繋がりが増えるほどもどかしい。会いに行きたくなるから大変だ。
九州は海も山もあるから色んな飯がうまくて最高だ。

こう書くとだいぶ思考が軟弱なのではと自分が心配になります。
とりあえずまた暫く仕事が大変なので頑張ります。そして本当の勝負はこれからです。
皆様お体にお気をつけ下さい。

メルでした。
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2016-01-03 Sun 19:56 | | #[ 内容変更]
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2016-01-05 Tue 21:08 | | #[ 内容変更]
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